梅まつり

梅まつり

亀戸天満宮の梅まつりに行ってきました。

亀戸天満宮って、いいですよね。

空がスコーン!と抜けてて、スカイツリーが見えて、ほんと気持ちがいい。

大好きな場所です。

 

お手水が亀さん🐢なの、毎回きゅんとします。

かわいすぎるやろー😍

 

お参りをすませてから、いざ、梅!!!

わたくし、梅って地味なイメージがあったんですが、そんなことないですね。華やかでした。

青空にもめぐまれてラッキー♪

 

最近、困ったマイブームが2つあります。

1つは、逆光。

もう1つは、わざとピントをずらすこと。こんな感じに。

分かりづらいだろうし、伝わりづらいのは分かってるんですが、なんかやりたくて、やっちゃう。

なんでこの人、失敗写真を堂々と出してんの?と思われても仕方ないなーと思いつつ。

やめればいいのにと思いつつ。

まあ、やりたいんだから、しょうがないよねえ。

後から見て自分でも「何がしたかったんだろ?」ってなる気がするなーとも思ってるんですが、まあ気が済むまで味わいます。

困ったマイブームです😅

 

天神様といえば、菅原道真公でございます。

「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ」という歌が有名ですよね。

この歌は、政争に巻き込まれた道真が大宰府に左遷される折に、自宅の庭の梅を見て詠んだといわれています。

この歌を見るといつも「ああ、おいたわしい。このようなお歌を詠まれる素晴らしい方がどうして左遷なんてされなければいけないのでしょう?あんまりです!」と言いたくなります。気分は完全に長年お仕えした女房です(妻ではなく身のまわりの世話をする役)。

妄想が激しくてすみません。

絶望的な気分の中で花に語りかける優しいスタンス、恨みごとを言わない潔さ。諦めもあるのかもしれないし、言えば揚げ足取りもあるでしょうから言わなかったのかも、という読みもできます。だとすれば狡猾。さすが、賢い方ですよねぇ。

東風というのが、太宰府から見れば京は東。東からの風は反撃の気運とも解釈できます。「春な忘れそ」も、「春」を「物事がうまく行っていた時期」と解釈すると、あの時の勢いを忘れずにもう一度取り戻そうと、語りかけているようにも思えたりして。美しい雰囲気に紛れさせてこういうワードを入れてくる気の強さもかっこいいです。

匂いというのも、またいいですよね。嗅覚って一瞬で強烈に記憶を呼び起こしますし、感傷的な気分がとても表されると思います。花の香りはすぐに立ち消えてしまいます。その儚さは、美しく咲く花はいずれ散ってしまうというイメージと相まって、儚い美しさをより強調します。

まずは字面通りの、美しく咲く梅の花に優しく語りかける美しくて少し物悲しいイメージの後、こんなことにはぜってー負けねーぞ的な強気なイメージが湧いてきて、すっかり夢中になってしまいます。濃い歌ですね〜

道真公、今年も梅が咲きました。

 

そういえば、太宰府に左遷されてからの道真公は、どのようにお過ごしになったんでしょうね。

考えたこともなかったけど、いつか調べてみようと思います。

 

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